ひなまつり限定:伝統の「節句菓」のご紹介

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    3月3日、桃の節句。

     

    「ひなまつり」と聞けば、誰もがちょっぴり

    くすぐったい気持ちになる、

    華やかで愛らしい、女の子のための1日。

     

    日乃出本店では、古来より大切にされてきた

    「お節句」の伝統を

    楽しく、美味しく

    楽しんでいただくため

    今年も、ひなまつり限定のお菓子セットをご提案。

     

    *ひなまつりセット

    400円(税込)

     

    ・平安時代より宮中に伝わる、ひなまつりの伝統菓子「ひちぎり」と

    愛らしい桃、ひなあられのセットです。

     

    〜3月3日まで:予約受付中

    ご希望のお受渡し日をご指定の上、店舗にてお申込みください。

    【穴吹本店:0883-52-1061(午前8時〜午後7時)】

     

     

     

    穴吹本店の様子もすっかり

    ひなまつり仕様!

     

    3月3日まで、

    銘菓お詰め合わせや「ぶどう饅頭」にも

    お使いいただける、季節限定の

    『ひなまつり掛け紙』

    ご用意しております。

     

    この季節の御遣い物やギフトに

    ぜひ、ご利用ください。

     

     


    10月の日乃出本店は、ハロウィンづくし!【10/15十五日餅のご紹介】

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      10月の日乃出本店は、ハロウィンづくし!!

       

      毎月恒例「15日」の十五日餅では、

      オレンジの見ためも鮮やかな、ハロウィン仕様「かぼちゃ」を

      当日のみの特価100円で販売いたします!

       

      朝7時〜朝8時の「朝茶会」では、温かいお茶とともに

      無料おふるまい。

       

      10月15日(土)、ぜひお誘いあわせの上

      秋の味覚を味わいに、お越しくださいませ。

       

      皆様のご参加をお待ちしております。

       

       


      ぶどう饅頭づくり「一筋」14年 中尾克志の話。

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        ぶどう饅頭づくり「一筋」14年 中尾克志の話。

        兵庫県、加古川出身。
        地元の「西川パン」にて商品企画に携わる。
        その後、京都への引っ越し・転職を経て、美馬市へ。

        食品にかかわる仕事が好きで、一貫して携わりながらも、意外にも「製造」の現場の経験はなく、2002年・日乃出本店入社とともに初めて、「お菓子作り」の現場に飛び込みました。

        「ぶどう饅頭」づくりのリーダー候補としてのキャリアのスタートでありながら、前任者の退社のタイミングで、とても短かった引継ぎ期間。

        「ぶどう饅頭」といえば、当時すでに誕生90年あまりを数える老舗の看板銘菓。
        製造スタッフとしての仕事じたいも初めてであっただけにそのプレッシャー、とまどい…当時の苦労がしのばれます。

        きりっとした横顔からうかがえる、中尾さんの「一本気」。
        「自分は、昔気質な人間ですから」

        仕事として選んだ以上熱意をもって、取り組み、結果を出す。
        好きで選んだ、お菓子作りという仕事。
        与えられた環境に応えられるだけの誇りをもってその仕事に向かうことが大事。
        そして、だからこそ楽しい、そうでなければ意味がない、と思っている意志の強さ、清々しい覚悟が、言葉の端々に感じられます。

        中尾さんという存在はぶどう饅頭にとって、日乃出本店にとって、幸せな出会いだった。
        そう確信せざるを得ないほど、老舗の味、一方では古色蒼然としていた「ぶどう饅頭」にこの頃から、新たな息吹が吹き込まれはじめます。

        ◆串「あり」ぶどう饅頭の始まり

        入社当時、ぶどう饅頭はまだ5つの粒の中に「串の隠れた」昔ながらの形でした。
        きっかけは、あるお客様からのご要望でしたが、私の時代に、初めて、手で持つ部分の串を飛び出させる今の形がスタートしました。

        「今や「伝説」!?化している、串なし(隠れ)ぶどう饅頭。現在スタンダードとなった「串あり」ぶどう饅頭誕生の瞬間に、中尾さんが立ち会っていたのですね!」

        ◆季節味バリエーションの開発・発売開始

        私の入社直後から、当時の社長のアイデアで「季節味」シリーズのチャレンジが始まりました。
        スタンダードだけでない、そうしたバリエーションがあったらいいな、という想いは当時の自分にもありました。
        ただ、私は餡を炊くことはできません。
        自分で責任をもてない仕事に、口を出すようなことが憚られて意見としては言えずじまいでしたが、実現していただき、とても良かったと思っています。
        「いろんな味があって楽しい、美味しい」
        お客様からの嬉しいお声もあって、新しいニーズにあっていたんだと感じました。

        もう一つの「定番味」と言えるほど、愛されている鳴門金時の味、現社長が今年になって改良を加えた「春いちご」。
        どれもおいしいですが、やっぱりなんといっても、昔ながらのぶどう饅頭がいちばんおいしい、と思っています。

        ◆地元とのつながり、愛着

        私自身は、他県の出身であり、地元の人のように昔からぶどう饅頭に親しんでいたわけではありません。
        それでも、知人やご近所の方から、家族を通して、お菓子の感想をいただけたり、また、家族が自らいまはこんなお菓子があるんよ、こんなん出たんよーとぶどう饅頭や日乃出のお菓子を通じて話題をふくらませてくれたり、地元でのお付き合いができているのが嬉しいですね。

        「それは、中尾さん自身が、誇りをもってこの仕事に取り組んでいることが、きっとご家族にも伝わっているからではないでしょうか。」

        ◆何よりもうれしい、お客様の笑顔

        昔気質な人間なので、自分のこうと決めた仕事に取り組むこと、それ自体に、大きなやりがいを感じています。
        けれど、それ以上に、やっぱり一番うれしいのはお客様からの直接のお言葉や笑顔です。

        工場にいるだけではなかなか分からないですが、近年、お店主催のイベントも増え、私も直接お客様と触れ合える機会を多くいただけるようになりました。
        ほかほか 蒸したてのぶどう饅頭を配り歩いているとき、美味しい! もう一本、いいですか?
        そんなお声がけのひとつひとつが、本当に嬉しいです。
        それに勝るものはないですね。

        ◆お菓子をつくることの難しさ

        ここで、筆者は、反省すべき質問をしてしまいます。

        「ぶどう饅頭製造の工程の一部は機械化されています。(だから、品質が同じものが出来る、という前提で)中尾さん自身の、体調や気持ちの面が、お菓子の出来に反映されてしまうことはあるのですか?」

        仕事は仕事。自分の「気分」などで仕事に向かうことは、今までもこれからも、ありません。

        むしろ、機械化しているとはいえ、できてくるものは、本当に一定ではないんです。
        季節や、その日の気温、湿度…様々な環境に左右されます。
        それをどう、調整し、一定した品質を保つかが、まさに人の力です。

        人の手と、機械、素材とのかみ合わせ、どう努力しても気候やその他の要因でどうしてもうまくいかないときは今日はここまで、とその日ラインを止める判断をすることもあります。

        それもすべて、最終的には、限りなく安定した品質のものを作り出すための努力です。
        あさはかな質問をしてしまった自分との反省と、完全手作り・完全機械化・そのいずれでもないからこその難しさ、芸術的ともいえる繊細さを、はじめて知ることができました。
        おいしく安全なものづくりにかける職人の想いを、もっともっと多くの人に伝えたい、そう想いをあらたにしました。

        5代目社長・・「晴」はまだ0才。
        「晴くんが社長になる日まで、杖ついてでも日乃出にやってきて関わっていられたらなと思います」
        そう笑った中尾さん。

        そんな彼がこの会社の一員であり、仲間でいてくれることに、心から感謝します。
        ありがとうございました。


        「餡炊き」30周年。尾形頼昭の話。

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          「餡炊き」30周年。尾形頼昭の話。

          日乃出本店 古参スタッフの一人である、尾形頼昭さん。
          今年、52歳を迎え、ふと振り返れば…22歳での入社、「30周年」を迎えたことにご本人も少し驚いているかのよう。

          自分でもびっくりするほどに「あっというま」に感じる一方、30年というひとかたならぬ時の流れは、良いことも悪いことも、さまざまに刻まれたかけがえのない尾形さんだけの財産。
          そして、その長い年月、ほぼ独力で日乃出本店の「製餡」部門を切り盛りしてきた尾形さん、その歴史は、そのまま日乃出本店のかけがえのない財産でもあります。

          ◆成型からはじまった、ぶどう饅頭との出会い

          入社当時、最初に配属されたのは「成型部門」。
          当時、店舗ビルの2階部分にあった工場で丸められたぶどう餡を「ぶどう饅頭」に成型する仕事がはじまりでした。
          穴吹土産、徳島土産として一時代を築いたぶどう饅頭は最盛期をやや過ぎた時期ではあったものの、その現場はまだまだ多忙を極めていました。

          昔ながらのお客様の記憶にある、「葡萄」の優しい絵の描かれた古い包装紙。その包装紙の記憶も、実際手に触れたこともある、尾形さん。
          在籍してきた30年には、包装・パッケージ資材の相次ぐリニューアルや茜庵の創業、ぶどう饅頭「季節味」の誕生、バリエーションなどぶどう饅頭としても、日乃出本店としても変化の多い時期であった。
          言い方を変えれば、尾形さんの存在があったからこそぶどう饅頭餡のバリエーションという、大きな変化を遂げることができたのだろうと思います。

          ◆とにかく健康!「年を経るほど、病気しなくなりました 笑」

          ぶどう饅頭の餡を炊く。
          看板商品である以上、「製餡」の仕事は、まさに会社の『心臓部』といえる大事な仕事です。
          入社、転属から、もちろん仕事を覚える上での古参の上司からの引継ぎはあったものの、ほぼすべての時期においてたった「一人」で、現場を担当してきました。
          和菓子屋である以上、週末、お盆、年末年始も関係のない職場ではあるもののひとつの部門をひとりで責任を持つことの重さは、想像以上。
          「倒れられない」「病気になれない」
          本人の意思はもちろんのこと、そこにはご家族の支えが欠かせません。
          顔の見える社員さんだけでなく、そこに連なるご家族のご協力あってこその日乃出本店、ぶどう饅頭なのだと、あらためて、想いを致すこととなりました。

          親の背中とはよく言うけれど、たとえ言葉にしなくても、そうした強い仕事への想いや責任感は、きっと身近な家族に伝わる。
          息子さんが「お父さんと同じ職場で働きたい」と、口に出したこともあったそう。
          その話をするとき、そうなったらやりにくいし結局そうはならなかったけれど、と破顔しながらも、どこか照れくさそうな嬉しさが表情に見え隠れしていた、尾形さんでした。

          10数年前から、ぶどう饅頭にバリエーションとなる「季節限定味」がはじめて登場し、今に至るまでさまざまな試行錯誤を繰り返してきました。

          いろいろありました。白(ミルク)、黒ごま、すだち…すだちは酢がききすぎて、本当に酸っぱかったですねぇ(笑)。
          2年前から登場した夏味の「煎茶」は、本当においしい。苦みをあえて出したこともバランスがよかったですね。

          また、春の定番として定着した感のある「春いちご」も、今年になり、より鮮やかでおいしそうな色味を出すために、餡の製造過程を一部改良した。
          すでに完成したかのように見える味も、時の流れや需要の変化により、必要とされる見直しを怠らない。
          また、そうした見直しやチャレンジが可能なこともまた、この道一筋の尾形さんの存在あってこそ。

          ◆「赤」「青」のぶどう饅頭!?

          ぶどう饅頭のカラーといえば、優しげな紫色。
          もちろん、色粉を使っての着色にはなるが、現在使用している紫の色粉は特別に注文して作っていただいているもの。
          かつては、「赤」と「青」の色粉を混ぜて、「紫」を作っていた、と聞きびっくり!!
          濃い紫、薄い紫…・色ムラが出たりなども良くあったとか。
          100年もの伝統あるお菓子には、やはりいろんな背景やその時々の歴史がある。
          今の感覚で考えるとややざっくばらんに過ぎるようなそんなエピソードも、おおらかで豪快だったかつての時代の空気が感じられて、ほほえましく思います。

          このインタビュー文章を通して

          何度も繰り返し出てくる、
          「尾形さんあってこそ」「たった一人で」「餡炊き一筋30年」
          という言葉。

          それらは、もちろん何よりもご本人の努力の賜物である以上に数々の幸運が重なった、奇跡のような時間でもあります。
          ぶどう饅頭 誕生1世紀、次の「1世紀」を見据えて――。
          「(自分のほかに)餡を炊ける人を育てたい。育てなければならない。」
          今後の目標は?との問いに、やや絞りだすように伝えてくれた言葉。
          愛され、守られてきたぶどう饅頭がこれからも、徳島にゆかりある人々にとって かけがえのないふるさとのお菓子として、誇りとともに、在り続けるように。
          先人から、そして尾形さんの背中から、連なり、またこれから先へとつながる道を私たちもまたともに見据えていかなければいけない。
          そして、誕生から102年、ぶどう饅頭が今日も明日もたくさんの手によって作り続けられ、お客様のもとへ送られ続けていること笑顔を届け続けていることが、決して「当たり前」ではない感謝すべき奇跡なのだと、思いました。

          ぶどう饅頭づくり、日乃出本店のお菓子づくりに携わる皆さんのお声をこれからも聞かせていただき、学ばせていただきたいと思います。
          よろしくお願いいたします。

          尾形さん、ありがとうございました!これからも引き続きよろしくお願いいたします。

          西川亮子


          ともに生きて、ともに働いた日々。上浦澄子の話。

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            ともに生きて、ともに働いた日々。上浦澄子の話。

            ◆出会いは「アルバイト」

            昭和40年代なかば。ぶどう饅頭といえば、その時、徳島の土産物として飛ぶように売れ、最盛期を迎えていました。
            繁忙期となる夏(お盆)と年末年始には、それぞれ100人の学生アルバイトを抱えるほど。
            上浦さんの日乃出本店との最初の「出会い」は、このアルバイト体験でした。

            当時は夏休みと冬休みに、たくさんの学生アルバイトさんを募集していました。100人くらい、いたと思います。ほとんどが女の子。ぶどう饅頭を成型したり串を刺す細かい作業が多かったですから、女性のほうが向いていたのかもしれません。
            ある日、友達と学校帰りに近くを通りかかったら、『やってみんか』とお店の方に声をかけられて。そうやって、お店の方が外に出られて、直接、学生さんたちに声をかけていました。そうして声をかけていただいて、初めてぶどう饅頭のアルバイトをすることになりました。

            そのころは旧社屋の二階に工場があり、ぶどう饅頭の成型(丸める)と、串刺しの作業を行っていました。
            ひと串に5粒。まず、左手に4粒のせて、右に、一粒だけ刺した串を持って、えいっと差し込むんです。そうやって、すべて人の手で串を刺していました。大変な数だったと思います。出来上がった饅頭の包装もしました。当時は、1階のお店の横に包装場があってそこで包装をしていました。お客様からも見えるように。ぶどう饅頭の最盛期でしたから、とにかく忙しかった印象があります。

            あともう一つは、「串づくり」の仕事。最初、串は竹製だったんです。最初に、ある程度の幅に竹を割っていってくれる。だいたい、均等の大きさになった竹串を、やすりにかけるようにして、細くして、サイズを合わせていくんです。これも、大変な作業ですね。今も良く、大奥さんが、串が落ちていると粗末にするなと叱りますが、やはりそのころの想いが今もあるのだと思います。

            ◆正社員に、穴吹の黄金時代

            働きぶりを見て頂けたのか、ありがたいことに声をかけていただいて、その後、正社員としてお世話になることになりました。昭和48年、10月の入社です。
            当時、現相談役が社長。奥さんが店を切り盛りしていました。会長になった初代の芳太郎さんも、当時はまだご健在。
            金庫番として事務所に座っているんですが、毎日、売り上げのお札、くしゃくしゃに皺になっているのを、その座っている座布団の下に敷く。そうして、ぴっちり真っすぐにされるんです。アイロンかけるみたいなもの。それをずっとされていました。

            芳太郎は万事に細かく、整理整頓に厳しかったと祖母から聞きます。そうした性格や、商売にかける想いが伝わるようなエピソードを、初めて知ることができました。

            穴吹駅も大変な賑わいがありました。ひっきりなしに列車がやってきて、大型バスが何台も旋回して。高松、池田、徳島方面、各地へのターミナル駅として便がよかったんです。
            宿もありましたし、賑わいや喧騒は、今とはくらべものになりません。
            ぶどう饅頭の駅での立ち売り、30年くらい前に辞めたと思いますが、そのころはまだまだ続いていました。女性の売り子さんが3人、饅頭の箱を肩から下げて。
            とにかくどこでも、ぶどう饅頭が売れに売れて。大変な時代でしたね。他になかったから、喜ばれたんだと思います。

            店も、いつもお客さんでいっぱい、立ち売りも盛況、駅のキオスクもすぐ在庫がなくなって、商品の奪い合い(笑)です。こっちが足りないんだ、こっちにくれって、できたての饅頭の箱を(身内でも)奪い合っていました。
            今の時代じゃ考えられませんが、お店の掃除をすると、お金のお札が丸まったのが出てきたり…売り場も押すな押すなの状態でしたから、そんなことも結構ありました。
            一番、多い時で一日300万。
            いまみたいに、自分用などでなく皆、どこかへもっていったり配ったりするために買っていきます。だからお客様も、一人10箱とか、紐でくくって下げて帰られていました。そんな光景も、今では懐かしいですね。

            穴吹が目に見えて過疎化してきたのは、やはりこの20年くらいでしょうか。たくさんの人で賑わっていた時は、お勤めの人口も、それなりにあったのかもしれないですけど…。
            日乃出本店は、鉄道とともに発展して。列車で人の行き来があって、駅にも活気があって生き生きしていたころ、それがぶどう饅頭の最盛期と重なるんですね。しだいに列車を利用する人がなくなると、自然人もいなくなって…人の流れが変わります。

            日乃出本店を、ぶどう饅頭を通して、時代と、穴吹という土地の移り変わりを見つめてきた上浦さん。同じ場所で見つめ続けてきたからこそ、その言葉にとても重みがあるように感じます。

            ◆接客という仕事にかかわって

            店頭に立って、お客様にご挨拶して、お話して…接客という仕事を気づけば長年、続けてきました。好きかどうかなんて、あまり考えたことありませんが、好きだから続けてこられたのかもしれません。もちろん、社員とだけでなく、たくさんのお客様との出会いがありました。
            長年、通い続けてらっしゃる方もいらっしゃいます。そういうご縁は本当にありがたいものだと思います。

            いつも香川から来て下さっていた、3組のご夫婦。仲良くそろって。それが、一組減り、二組減って、今では一組さんだけになりましたけど、年に一度は、必ず訪れてくださいます。そういうご縁は嬉しいですね。

            お客様がやってきては、上浦さんを見つけて親し気に声をかけ、時により長い事話し込んでいく。店頭では、よく見られる光景。てっきり知り合いの方なのだと思い、聞くと「いいえ、お客様なんです、昔からよく立ち寄ってくださって〜」と、いつもびっくりさせられました。人によってはご家庭やご家族の悩みまで、打ち明けて相談されたり。
            お菓子を買いたいから、じゃなく、「上浦さんに会いたいから」が理由で来店されるお客様が、きっとたくさんいらっしゃること。
            それはかけがえのない日乃出の財産であり、感謝すべきことだと思います。

            ◆バトンをつなぐ

            子どもは二人。男の子と女の子です。だから、お産で2回お休みさせてもらったし、家族にも病気がありましたので、その後も…何度もお休みさせてもらってご迷惑かけました。
            当たり前ですが、私が入社したころは、もっと年かさの女性の上司が多くて。皆さん、姉御肌というか、とにかく元気で、いろいろ言われもするけれど、相談にのってくれたりいろんな面倒をみてくれたり。すごく助けられた想い出があります。お店のスタッフは女性ばかりなので、長年みてきた中で、やはり結婚だったりご主人の転勤だったり、いろんな理由で短いスパンで辞められる方もいましたけど、脇さん、大塚さん(現在は香川在住)、そして私はみんな、20年以上。長い事勤めさせてもらいました。自分が若いころそうしてもらったように、若い人の話を聞いたり力にならないと、と思います。 自分の後には、松永さんという人が入ってくれて、長い事、勤めてくれて繋いでくれていて。有難いと思います。

            ◆ぶどう饅頭のこれからと、自分のこれから

            ぶどう饅頭は100年を超えるお菓子なので、やはり古くからのお客様、また二世代、三世代のお客様といらっしゃいます。
            本店へご来店されてぶどう饅頭を買って下さるお客様は、おしなべて年齢層が高めですが、それがこの夏、ずいぶんお客様の年齢層が「若返ったな」と感じました。30代、40代くらいの人がよく来てくれて買って下さったように思います。そうして新しい世代にも繋がっていくのだと思います。

            私の知っている最初は、ぶどうの絵の描かれた優しい包装紙。三代目のときにモダンなデザインになり、それからまた変わって。そして昨年、1世紀をこえて新たなパッケージになりました。歴史や思い入れのあるお菓子だから、変わった直後は、どうしても、お客様の反応も様々です。でも次第に、受け入れられ、その良さを見つけて、なじんでいくんですね。数年はかかると思います。

            学生のころからお世話になり、気づけば結婚、出産、さまざまなことを経て、今もこうしてお仕事させてもらっています。
            環境もお菓子の製造法もこれだけのことが色々変わって、ぶどう饅頭とともに、色んな変化を見てきました。
            自分自身、まだまだ、できない、できてないと思う事も多いです。それでもお客様とのかかわりを大切にしながら、これからも頑張りたいと思います。


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